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利点欠点

いいところと悪いところは常に共存している。
いいところは、ある人ある場面から見れば悪いところとなることもある。
逆に悪いところは、ある人ある場面から見ればいいところと成りうる。

情報系を学ぶものとして簡単に例を挙げられるのがSE。
昔はバリバリの理系エンジニアが多かった。
しかし、それだけでは顧客を満足させられない。
それは顧客の目線というものを理系エンジニアは見失いがちだからだ。
一見システムの中身まで細かく把握していないエンジニアは劣っているように見える。
しかし、実際には彼らは顧客の立場に立ち、プログラマなどの理系エンジニアとの
つなぎ役として要件や仕様を明確にするなど、重要な役割を果たしている。
細かいところまで知らないことが逆に役立っているのである。
これは以前教授?が講義とかでぽろっと言ってたのを適当に言ってるだけ。

これは仕事として成り立っている例だけど仕事に限らずそれはあるだろう。
ヘレン・ケラーも自身の障害が無ければあのような功績は残せなかった。
欠点は利点に成りうるし、利点は欠点に成りうる。
だからそもそも利点欠点、優れている劣っている、の二択で話すのには矛盾が起きる。

こういったことは、よく考えればしばしば言われていること。
しかし、それを意識しない人は非常に多い。
さらに言えば、意識しても自らの欠点を認めることが出来ない人は多いはずだ。
それは長い間持っていた自分のコンプレックスなのだからしょうがないかもしれない。
ただ、他人に対してそう思うのは無理なことでもない気がする。

他人の欠点を受け入れるということではなく、そもそも欠点と思わない。
そういった心構えを持っていることは自分にも跳ね返ってくると思う。

で何を言いたかったかというのは実はこれではありません。
めんどくさいんで辞めます。
こんなつまらないことをダラダラ書くつもりはなかった。
まぁこの行まで読んでる人なんて居ないと思うしいいよね!
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勉強とは

勉強とは何かの目的があってその目的を達成するためのもの

であると個人的に思う!

そしてさらに思ったこと。
大学で俺がそこそこ学ぶ意欲を持っているのは、
大学生だからなのではないかと。

例えば何処かに就職したとしましょう。
で、就職したら仕事覚えなきゃいけません。
さらには、仕事してそれに関すること勉強しないといけません。

そんなこんなで、
就職したら勉強する範囲が結構縮まる気がする。

でも学生って違う。
大学生であるからこそ、就職してないからこそ
色んなことが学べる。
経済も学ぶし政治も学ぶし色んな専門的なことも学ぶ。

それは将来役に立つと信じてるから。

将来が分からないこそ色んなことが学べるんですよね。
大学院に行くっていう選択肢はそういう期間を少しでも延ばしたい、
っていう気持ちが有るからだと思います。

文章を書く

 最近ブログを書いてて良く思うこと、それは言葉を入れるか入れないか。この前、爆笑問題の太田が丁度関連することを言ってたので自分なりの考えを記事に書いてみます。

 最近ブログが長文ですよね。しっかり読んでくれる人なんてほんの一部かもしれませんが結構真面目に書いてます。学校でレポートなんかを書くときにも思うんですが、この言葉を入れたほうがいいかな?入れないほうがいいかな?って話。大体、そういうのって自分の考えを上手く伝えられているか自信がない文章のときの方が多い気がします。できるだけ自分の思ったことを忠実に書きたいと思うし、誤解されたくない。悪く言えば、突っ込まれる可能性があるところを潰したいっていう逃げみたいなものもあると思います。

 でも、なんでしょう。自分で言葉を付け加えていくに従って自分の考えから遠ざかっている気がするんですよ。自分で書いてるのに、「俺こんなこと思ってたっけ…」みたいに。結構前に認知的不協和ってものを大学で学びました。以下wikipediaから引用です。

認知的不協和

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)は、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。…人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。


 例が本ページにあるので、行ってくれれば理解しやすいと思います。で、俺はブログを書くときにもこんなことが起こってると思うんですよ。実際に記事にするときはホント書きなぐり状態なので、ある程度テーマを決めるけど具体的に書くことは決まってないんですよ。例えば、事実A,B,Cがある。もともと、なんとなくA→B→Cと書くつもりだったけど書いてるうちに事実Bの後に事実Dを書きたくなったとする。すると、A→B→Dとなり、Dを書いてしまったから事実Eを書きたくなる(書かざるを得なくなる)。で、結局A→B→D→Eと書いてしまって、もともと書きたいことと食い違ってしまう。そんな感じで芋づる式に本来持っていた考えから遠ざかっていく気がするんですよね。

 こんなことが毎回のように起こるんで、やっぱりしっかり書きたいことは論理的にメモしないといけませんね。ブログは書きなぐりでも全然いいと思ってるんですけど、(逆に書きなぐりで新たな発見をすることもある)学校のレポートとかだとそうはいかないんですよね。まぁ学校のレポートは、事前にデータを集めなきゃいけないものがあるので自然にそうなる性質はあるとは思います。

補足:
 途中事実Aとか便利なんで使ってますけど、ブログの場合、ほとんど事実ではないっすね。実際は考えAですね。レポートの場合は事実Aを使わないといけないよね。

どっぷりは駄目

今日は1週間ぶりくらいにSAしました~。計3時間くらいかな。小分けに。

 課題でも何でもどっぷりやり込むのはあんまりよくないですよね。なんか当たり前ですけど。課題A、B、Cが有ったとして、今日はAを30分、Bを30分、Cを30分みたいに小分けにやるのが一番いい。作業効率は悪いんだろうけどね。メリットとしては、、、

・定着しやすい
・あまり苦痛を感じない
・やった感がある

などが有ると思います。やった感っていうのは充実感みたいなものです。

家庭教師で生徒に教えてる時も少し気をつけていることが有ります。例えば、、、

A:一日数学をどっぷりやる
B:数学、理科、英語を少しずつやる

 もちろん定着とか学習効果とかも気にしているわけですけど、何よりやった感。例えば、Aの数学だけをやった場合、やった記憶としては数学をやったっていう記憶だけ残る。で、Bの場合は数学と理科と英語をやったっていう記憶が残るわけですよね。
 家庭教師なんて、常に集中してやるなんて不可能だし、全てを理解しているとは思えないんですよね。「数学ばっかやったけど分からなかったこと結構あったな…」みたいになると全然やった感がしないと思うんです。でも多少分からないところがあっても、「まぁ理解してないところもあったけど3教科もやった」っていう、やった感が有ると思うんです。前者でもやった感を出すことは出来るんですが後者の方が楽な気がします。

 ゲームはちょっと違うんだけど、少しやる→別のことする→少しやる、みたいにすると、時間をあまり無駄にしていない感じがするんですよね。色んな事が出来た、っていうことかも知れない。まぁ、ならそもそもやるな、って話になるんだけど中々出来ないのを僕は知っていますw で、区切るのも中々難しいんだけど、そこを踏ん張って別のことしてみる。…と良いかもしれない。

センスの問題 これってダサイの?

 なんかさー2ちゃんのまとめサイトでよく宣伝しているコレ。

 http://shop.menz-style.com/

 今まで結構いいかな?って思ってたんだけど、ググってみたら2ちゃんで叩かれてた。そんなにファッションに興味がない俺にとってネットで済ませられたらなーっと思ってたんだ。

 まだネットで買ったことないんだけど今度買おうかなーと。買いに行くのめんどくさいし、いざ店に入ると中々決められないから。まぁネットで服を買う議論はどうでもいいんだけど、このサイトのってダサイか?

広告方法とか文体とかもどうでもいい。全体的に写真見てダサイかダサくないか。

 もちろん2ちゃんの情報を鵜呑みにするわけじゃないんだけど、センスってやっぱり人によって違うじゃんね。ネット上の流れとか色々あるし、実際にダサくないって思いつつもダサイって書きこんでる人もいるだろう。そういうのをまぁ許容したとして、それでもダサイって思ってる人は結構いるのかな?って思ってしまう。多くの人がダサイと思っているものを着たいとは思わない。だけど、自分にセンスが有るとは思ってないので評価が難しい。

 ネットを使うことって嘘を見抜けないといけないとかいうけど、これって嘘ではないよね。事実的な論証が出来れば嘘だと判断出来るけど、こういうセンスの問題とかは論証出来ないじゃない。まぁ具体的にこのサイトの服がダサイかダサくないかで街角でアンケート取ればある程度、求める材料にはなるのだけれど。でもそれって本質をついてないよね。

 そういう意味で、センスとかを調べものとしてネットで調べても無意味なんだよね。しっかりした中立的な立場から評価するサービスがないと信用出来ない。で、統計を取ってもらわないと。でも本質をついてないから慰めではあるけど。

 そこまでしっかり調べてないのでダサイって思ってるサイトよりカッコイイって思っているサイトの方が多いかもしれません。2ちゃんの住人の言うことは理論的に見えても何故か受け入れられないんだよね。なんか独断と偏見を思いっきり言ってるように見えるからかな。自分の理論の反対の立場に立ってものごとを述べてないからかな。まぁ、見えるだけってことも沢山あると思いますよ。

 たまにこういう風に考えたこと書いてみるけど、コレって書きながら考えてるんだよね。だから口で喋れって言われても無理。だけど、こういう風に書いたことによって少しは自分の考え方が確立されてくのかな、と思いました。
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